うさとの服が作られる里 タイ チェンマイを訪ねて

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命の喜びがつまった服だった

 

 

うさと服が作られているタイ チェンマイのビデオを 1年ほど前 うさとNY展で拝見した。

心に染み入るような、チェンマイの緑、光、笑顔

理屈ぬきにただ、ただ、そこへ行ってみたい、、、!

 

友人が「視察」的意味合いもあって訪ねるというので、

部外者の私が行っていいのかと思いつつも、どさくさ紛れに連れていってもらう。

 

「これを読まずにチェンマイには連れていかないからねっ。

うさとさんにも会わせないからねっ」

 

とは言わなかったけど、それほどの熱意でもって友人の千子ちゃんが貸してくれた

うさと服への想い、今までの経緯が書かれた

うさぶろうさん の著書 を機内で読ませてもらう

「机に向かい頭をひねってでてくるものと

土に根ざした暮らしの中で発想し、創造し、自分を発見する喜びの中で作ったものとは

「いのち」の大きさが違う」著書より

 

もともとオートクチュールのデザイナーとしてヨーロッパでもご活躍だった

うさぶろうさんに転機が訪れる

 

ただのファッションじゃなくて

『着る人が「気持ちいい」と元気になってくれる服

いのちのパワーがちゃんと身につく服』をつくりたい

 

まずは、その「いのち」の大きい布、「生きた布」を求めて行脚

そしてついに出会ったのがタイのヘンプだった。

 

この新たな使命を果たすべくチェンマイでの新しい生活が始まる。

 

いろんなご縁がつながって、

ソムヨットさんというタイ人の、農村の生活向上、特に女性たちの意識を活性化させる活動をしていた男性と出会う。彼のビジョン、知恵や尽力によって

「いのちの大きい生きた布」が作られている村の女性たちと

親交を深め、技術的なサポートもし、年月をかけて

うさと服作りに適した長さの織物が安定して作られるようになっていきます。

写真 向かって右がうさぶろうさん 左が サムヨットさん

 

織り手の技術も安定してきた頃

デザイナーであるうさぶろうさんの要望にあわせた布を注文したいという(ある意味ごく普通な)意見に対して

 

「それはあなたのエゴじゃありませんか?」

 

とサムヨットさんは切りかえします。

それまでのファッション界での成功も何も捨てて、

使命を生きようとしているうさぶろうさんに向かって!

 

サムヨットさんは

「僕の願いは村の人たちが自分らしく輝いて生きることなんです。、、、中略、、、

織り手が自分の創造力で布を織る喜びを、大切にしたいと思いませんか?」

と問いかけます。

 

そのやりとりの中で、うさぶろうさんはすごいことに気づくのです。

『村の女性たちにとって、布仕事は、野良仕事の合間、子育てや家事をする合間の、くらしのリズムに組み込まれた生活の一部です。好きなときに好きなだけ、気持ちよくそんな喜びをノルマや予算で台無しにしたくなかった、、、。でも、無意識のうちに、かかわるみんなは「制作」で、ぼくは「創作」という自我があったのだと思います。織り手の「喜び」を、どこかで軽く見ていました。「共生」のホントの意味をわかっていなかったというか、彼女たちをアーティストとして尊重するという発想がなかったのです。布を織ること自体がアートであり、布に「創作する喜び」が織りこまれていることに、ぼくはようやくきづかされたのでした。』あいをよる おもいをつむぐ P69

 

うさぶろうさんみたいな人でも

一枚一枚皮がむけるようにして、段階を経て

大事なことに気づかされて真の使命を生かされていくのだな

ということにも、

その気づき以降、きっぱりと、布のデザインは織り手側に任せることにしたーということにも

胸をうたれました。

 

織り手が想うように織った布を、しかも織り手の言い値で買っているそうで

おどろきー

 

うさぶろうさんと、そしてサムヨットさんにも

お会いするのがさらに楽しみになりました。

 

羽田から数時間、バンコック乗り換えで、チェンマイへ  着いたのは夜

 

そして、一夜あけて、、、

うさと服づくりのヘッドクオーター うさとサイラムの朝

さっそくオフィスを見学させていただきました

 

うさぶろうさんのオフィス

サムヨットさんのデスク

 

タイやラオスの村人たちと共につくるうさとの服。

村人たちが、種、お蚕さんからそだてて、糸をより、草木で染め、思うように機で織る。

関わった人たちの、創る喜びがいっぱいのっかった布たちが、

うさと服になるための出番を待つ倉庫

                                                                 

ひとつひとつがユニークで、味があって、あったかい

なんだかハグしたいような気持ちになってくる

 

別室にはうさぶろうさんデザインの型紙がずらああああああっと

うさぶろうさんがデザインした物をパターン化し、

縫製もタイ・ラオスの方達と一緒に作り上げている。

限られた日程の中、染織の里までは足を伸ばせなかったのだけれど

ソムヨットさんが、チェンマイ近くの二つの縫製工場へ連れて行ってくださった。

 

車を走らせて、、、

まず一つ目の縫製工場へ

なんだか楽しそう

出番を待つ布たち

布見本帳を見せてくれるサムヨットさん

 

これを創るよ

 

まず、型紙にあわせて裁断するところから

実によく切れるハサミ ハサミか腕か

裁断が済んだものは、美しくひとまとめにして縫製へ

 

「あぁ、今、私が着ているのと同じシャツを縫っているんですねー」

無農薬のお野菜じゃないけれど、作っている人たちのお顔が見えるって、なんか安心で嬉しい。

 

お給料は出来高制だそう。でも個人のためだけの仕事ではなくて

利益をコミュニティに還元していく、将来のまさかの時にみんなで備える といった

仕組みもつくられている。

壁には、どんな経費がかかったかがわかる表が貼ってあった。

その横には、自分たちの収益の中からコミュニティの教育機関に寄付をした

そのお礼状も貼られていた。

 

彼女たちの中にはミシンなど見たこともなかった という人も少なくない

技術を学び、適した針などのサポートもうけて、自分たちでオープンに相談しながら

運営している。

家庭以外に場所がなかった女性たちが

社会の中で、経済的に自立していける。

自分や家族だけでなく、他の人へも手を差し伸べることができる。

 

みんなバイクや自転車で通ってくるんだね

 

タイ特有の挨拶になぜかうるっ

次の縫製工場へ、、、

できたてのトップを着てみせてくれた かわいい!

イメージにありがちな、同じ部分ばかりを縫う流れ作業ではなく、

一人一人がそれぞれひとつの作品をしあげる。

「私がこれを縫ったのよ〜♪」

ここでもやっぱり、交わし合う挨拶になーぜーかうるっとする

手をあわせあうって、ほんとに素敵なことだ

最後まで手をふって見送ってくれた

そうして、完成する

見てるだけで気持ちいい 色 風合い デザイン

 

実は、

うさぶろうさんの著書の中の、サムヨットさんのことを書いたこの部分にびっくりしてしまった

『彼の視点は、他のNGOとはちょっとちがっていて、村の現金収入を増やすというより、村本来の豊かさを取り戻すためにはどうしたらいいのか、というところにありました。実はソムヨットは、日本の栃木県にある「アジア学院」の卒業生だったのです。

アジア学院のモットーは「共存共栄」自立を応援するために、草の根的に活動する農村のリーダーを育成する学校です。そこで彼は、自然農法を学ぶかたわら、手仕事の奥深さに目覚めたといいます。』

アジア学院!?

実は、このアジア学院を去年の夏に私は息子と訪ねていたのです。

というのも、息子の大親友のおじいさま、つまりは

私の大好きなママ友のお父上が

このアジア学院をつくった方だったから。

 

(写真は2016年夏 栃木県 アジア学院 田んぼの水を抜くので、泳がせていた魚を別所にうつすべく、みんなでつかまえているところ)

 

 

日本のデザイナー うさぶろうさんが「命の布」にタイで出会い

日本の志のある方が作った

草の根的に活動する農村のリーダーを排出する学校(アジア学院)の

教育を受けたタイ人のソムヨットさんに出会い

 

命のかたまりのような服をつくりたい といううさぶろうさんの使命と

命をうみだす「母」たちを心から大切におもい

自分らしく輝いて生きて欲しい

というソムヨットさんの使命が出会い

 

彼女たちの、自立を応援し、創造する命の喜びが尊重される形で、うさと服がつくられ

そのエネルギーをのせたまま

ニューヨークにいる私が、着ることができる!!

 

なんて壮大なんだ!

 

「あいをよる おもいをつむぐ 心をむすぶ うさと服」

 

部外者が訪ねていいのか、、、と内心思いながら訪ねたチェンマイだったけど

こうやって 人のご縁は回り回って、つながっているんだなぁと

感動ひとしおで帰ってきたタイ、チェンマイ うさと服がつくられる里を訪ねた旅でした。

 

 

 

AUTHOR

プロフィール写真
片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
30年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

しばし子育てを楽しむが、50代が見えてきた頃、「余生」と呼ぶには長すぎる人生の後半をどうやって生きていけばいいのかと問い始めソウルサーチングの旅を始める。

  

YouTubeにMayutomo Channelというインタビュー番組を作り、「命」や「宇宙の仕組み」を日常に落とし込んでおられる先生方にお話を伺う。

登録者数は6300人を超え、今も増え続けている。

NYではアーバンシャーマン(都会の長老)的先生方から、体、ムーブメント、声などを使って、自分の奥の奥にある声を感じる方法を学ぶ。

教えを実践していたある夜、自分の中の「聖なる存在」と体感的に再会。

いついかなる時も自分だけを愛してくれていた存在が自分の内にいてくれたことに感動し、押さえつけ無視し続けてきたことを詫び、そこからはその声を感じて行動すると誓う。

そうするうちに、深い喜びと感謝が内から溢れ出し、もう満ち足りているので、何もしなくてもいいと感じ始めた途端、突然57才でショートフィルムの主演女優デビューしたり、58才で自作のミュージカルショーの舞台に立ったりと、思いもよらなかった、本人も忘れていた大昔の夢が、棚からぼたもち的に勝手に叶いだし、人生は宇宙の台本どおりなのだと実感する。

魂の声どおりに生きる喜びをショーや語りで表現し、アラフィフ世代の背中を押し続けている。

ショーの動画はこちらhttps://www.notsosuperherogirl.com/about

片岡桜子(長い長い)プロフィールはこちら

公開日:2017/12/09