悔しい言葉が感謝に変わるとき
「お前なんかにたいしたことはできない」
あまり父とは近い関係ではなかった
いつも母とべったりで、母の子分とよばれ、、、
でも要所要所は父の出番で、しかしそれはあまり楽しいものじゃなく
どちらかといえば、嫌味がたっぷり入ったお小言ばかりで。
昔むかし里帰りしていた時のこと。
当時、NY生活も最初の必死な時期が過ぎ、さてここから先どうするか
頑張る気持ちはあるものの
どこへ向かって走ったらいいのかわからない頃だった。
誰にも頼まれていないのに
「1日も早く何者かになって、故郷に錦を飾らねば。
あれだけみんなの反対を押し切って、仕事も縁談も断ってNYに来たのだから。」
と思いつめていた。
でも当然ながら現実はそう簡単には転んでいかない。
そんな時だったので、どんなに取り繕ってもどことなく、
くらぁいおもぉいオーラをまとっていたに違いない。
いろいろやり取りがあった中で、私を奈落に突き落としたのは、父の一言だった。
「どうせお前なんぞにたいしたことができるとは、思ってはおらんからな」
何も今そんなこと言わなくっても。。。
自分でだって、もうダメなんじゃないかって白旗をあげる寸前
ギリギリのところでなんとかいるというのに
親が突き落としてどうする?
「どうせお前なんかに何もできるはずない」
まあ、それでも、だからこそ、「なにくそ」っていう気持ちが湧いて
その後また頑張れたという効果はあり
それから努力のすえいろいろ私なりに達成した。
だのに、、、いつまでたっても
そこはかとなく自信がない感じがいつもつきまとうのはなぜ?
いつまでも、上へ上へいかなきゃ という焦りみたいなものを持っているのはなぜ?
と、掘り下げていったら、他にもいろいろでてきたけれど、
その中にこの時の父のこの一言がはいっていた。
「どうせお前なんかにはたいしたことはできない」
という一言
あの時、
本当はすごくその言葉に傷ついたんだ。
でも、何も言わないで「なにくそ」って跳ね返して済んだつもりでいた。
けど、その後ももしかしたら、どこかで無意識のうちに信じかけて
まるで呪いの呪文のように縛られて
それを打ち消すために、そうではないと、「できるんだ」と証明しようとし続けた、、、?
「どうせお前なんかに何もできない」 と思っている人に認めてもらいたいとどこかで思った?
あぁいくつになっても、親の言葉はなんと子供を支配してしまうものなんだろう
しかもそれに気がつかない
これがあっているかどうかはわからないけど
でも、なんかそんな気がする。
腑に落ちた
それで
あのくそおやじ!
でも、もう大人なんだから、自分が自分を認めればいい と
そこから、脱皮したつもりだったわたし
でも、、、
今朝、突然はっとした
私はずっと
「どうせお前なんかに大したことはできない」
と言われたと思っていた。
でも実際父は
「どうせ、お前なんかにたいしたことができるとは思っておらんからな」
と言ったのだった。
もしかしたら、、、
あれって、本当は、こういう意味だったんじゃないか
「無理して背伸びして自分じゃないものになろうなんてしなくていい。
親はそんなこと期待してない。無事に生きて普通に幸せにしててくれたらそれでいいよ。」
そうか!そうなんだ!そうだったんだ!
だったら、素直にそのままそう言ってよぉ
でも、言えないのよねぇ
呪いの呪文は、、、実は、不器用で嫌味士で照れ屋な父の優しさだったのかもしれなくて
もしそうだとしたら、そんな昔の呪いの呪文に縛られることもない。
だってそもそも呪いの呪文じゃなかったんだから。
あら、なんだ
不器用な親の愛は、時に子を傷つけ無駄な遠回りをさせる。
でもその遠回りのおかげで、本当のことがわかったりする。
あぁ親子とは、なんとやっかいでいとおしい関係なんだろね