初めてのヤードセール ガラクタの向こうにあった宝物

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「わたし、来た甲斐がありました!」

「ヤードセールに行きたい」と、
子供と義理ママが言うのでしぶしぶついて行くことにした。
不要になった品物を家のヤード(庭)に出して売るヤードセール

義理ママは妙に見る目があって、
家にあるなかなか可愛いグラスが
「ヤードセールの勝利品なのよぉ。ときどき宝ものに当たるのよぉ」
とか言うので
前からちょっと興味はあったのだけれど
いや、しかーし

日々(せめて心意気だけは)断捨離精神でいきたいと思っているのに、
自分がヤードセールを開いてガラクタを処理するのでなく
ヤードセールに買いに行ってどうする!!!

ブツブツ

「どうせろくなものはなかろう」との予想どおり
見てるだけで気分が悪くなりそうな(ごめんなさーい)
文字通りガラクタの山!
こんなの買う人いるのか!?

それでも何か見つけて買っていく人はいて。
誰かのガラクタが、必要な人の手元に届くなら
それはとても結構なこと。

しかし、私は、下手に欲しくなるような物がなくてよかったと、
ほっと胸をなでおろし、さっさと帰ろうとした時に
何故か義理ママが、ヤードセールの開催者のおじさんに、いらない事を話しだした。

「彼女(私のこと)にとって初めてのヤードセール体験なの」

そのおじさんは、なんかとっつきにくい感じの人で。
もー何もそんなこと言わなくていいのに。
さっさと帰ろうよ。

でも、人間話しかけてみないとわからないもの。会話は続く
「そうですか。いや実は、ボクにとっても初めてのヤードセールでね」

それまで妙に硬い顔をして、ガラクタが積まれたテーブルの向こうで
所在なさげに立っていた男性が
少しずつ話し始めた。

なんでもその家は、実は彼の家ではなく、彼のご両親の家で
つまり、(私にはガラクタに見えた)物たちは、
なくなったご両親の持ち物だった。

おじさんは、何年もかかってやっとこのたび
奥さんにもつつかれ、
重い腰をあげて、
両親の思い出の品々を処分ーつまり彼にとっての初めてのヤードセールに
ふみきったという。
その家を整理して売りに出すか
あるいは自分たちが今住んでいる家を売って、そこに自分たちが住むか思案中とのこと

ガラクタの端っこに、歩行補助器と、車いすがあったことから出た
「いろいろ大変ですね」
という言葉につかれたように、
彼の話は思わぬ方向へ続く

「うちの両親はほんとに仲のいい夫婦でね。
母が入院してから、最初のほうは毎日通って
朝ベッドから母を起こして車椅子に座らせて、夜になったら
寝かせて帰って来てたんだ。でもだんだん一緒に病室のベッドに寝泊まり
するようになっちゃったんだ。仮眠用のベッドに横たわって、そこから手を伸ばして
母の手を握って毎晩寝てたんだ。2年間家に帰って来なかった。」

所在なさげだった男性の顔はどんどん溶けて優しい顔になっていく。
いきいきと、話しは続く。
当たり前だけど、こわばった顔の向こうは、みんな同じ人間

「母はフランス生まれで。父が軍隊でフランスにいた時に知り合ったんだ。
母の家はフランスの中のイタリア人コミュニティーの近くにあって
母の両親は、絶対そのコミュニティーのイタリア男とはつきあわせないように厳しく育ててたらしいんだ。
だのに、ボクの父はイタリア系アメリカ人で。イタリアの血が入ってるだけでなくて、結婚して
外国に連れ去ってしまって、、、。向こうの家では大変なことだったと思うよ。
でも父は母のことを、本当に最後まで大事にしてたんだ。」

あぁ、さっき、おじさんのガラクタが必要な人に役にたつなら、、、と言ったけれど
この場合、他の人にはガラクタでも、このおじさんにとっては
どれ一つをとっても全部、仲がよかった両親の思い出の塊なわけで。

宝探しにやってくるヤードセールハンターたちが
宝はなし!ガラクタ!と無言で評価するのを
目の前でみているのも辛いことであったかもしれない。
今の時代にどれもほとんど商品としての価値はないと、頭でわかっていても。
ごめんね

改めて今回思い切って「初めてのヤードセール」にふみきったおじさんを讃えたいと思った。
そして、ついさっきまで(他人のガラクタ)と心の仲で切り捨ててしまった物たちにも
改めてそんなステキなご夫婦を、
彼らの時代にそばにいて、彼らを幸せにしてくれた物たちに
(あかの他人の私が僭越ですが)感謝の気持ちを送りたくなった。
ありがとう。ご苦労さま。

「わたし、ご両親のお話を聞けただけで、初めてのヤードセールに来た甲斐がありました!」

と、思わず口走ってしまった。
おじさんの顔も、一段とへのへの。

危険がいっぱいのヤードセール、
でも時には宝物が見つかるかもしれないっていうのは
本当なのかもしれない。

あ!そういえば。日本の実家の私の部屋も時間が止まったまま、、、
思い出がべっとりまとわりついたガラクタ群を、一体どうする自分、いつ?

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片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
30年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

しばし子育てを楽しむが、50代が見えてきた頃、「余生」と呼ぶには長すぎる人生の後半をどうやって生きていけばいいのかと問い始めソウルサーチングの旅を始める。

  

YouTubeにMayutomo Channelというインタビュー番組を作り、「命」や「宇宙の仕組み」を日常に落とし込んでおられる先生方にお話を伺う。

登録者数は6300人を超え、今も増え続けている。

NYではアーバンシャーマン(都会の長老)的先生方から、体、ムーブメント、声などを使って、自分の奥の奥にある声を感じる方法を学ぶ。

教えを実践していたある夜、自分の中の「聖なる存在」と体感的に再会。

いついかなる時も自分だけを愛してくれていた存在が自分の内にいてくれたことに感動し、押さえつけ無視し続けてきたことを詫び、そこからはその声を感じて行動すると誓う。

そうするうちに、深い喜びと感謝が内から溢れ出し、もう満ち足りているので、何もしなくてもいいと感じ始めた途端、突然57才でショートフィルムの主演女優デビューしたり、58才で自作のミュージカルショーの舞台に立ったりと、思いもよらなかった、本人も忘れていた大昔の夢が、棚からぼたもち的に勝手に叶いだし、人生は宇宙の台本どおりなのだと実感する。

魂の声どおりに生きる喜びをショーや語りで表現し、アラフィフ世代の背中を押し続けている。

ショーの動画はこちらhttps://www.notsosuperherogirl.com/about

片岡桜子(長い長い)プロフィールはこちら

公開日:2013/07/21

最終更新日:   2015/09/22