他人を演じることを通して自分を知る?

「感情に振り回される」わたしも悪くない

フロリダで遊んでた間も宿題もらい

来年半ばに始まる映画 ”Keiko’s Hands” の撮影

この女性が監督のYun Lian女史 男の子がショーン)役のアダム君

この監督、ユンちゃん と呼びたくなるような若さだけれど、なんかすごい人だわ

彼女の指導の手法も 人間の心模様観察の深さも

例えばあるリハでは、成人したあまり仲のよくない娘と

カード遊びをしてる最中に、「ズルをしたんじゃないか」と母である私が攻めて喧嘩になる

という設定で娘役の役者さんとアドリブ劇。

しかも3回も。

1回目 双方攻撃したり守りに入ったりして普通に終了

2回目 母役のけいこさんに「守り」という言葉はないから と監督が私に指示。

    「攻撃」のみに集中したら、若い男の日本語学校の宿題のときに怒鳴りまくっている自分がでてきて、我ながら恐ろしい「けいこ」になり、結果 相手役は涙目になる

3回目 「お母さんに勝たせてあげるという要素をいれてみて」と監督が娘役に指示。やがて 私は悟る

わたしは、今まで「ぶれない」「強い」人が羨ましかった。憧れてたかも。

だって、私は、自分のみならず目の前にいる人の感情にすごく影響を受けて、ぶれる。

情に流されるってやつだね。

優しいともいえるけど、弱さでもある。

相手の表情からいろんな気持ちを読み取ってしまう。

その読み取りが正しいかどうかは別として、それによってわたしの気持ちも揺れる。

これはかなりしんどいことでもある。

この即興劇ワークの第3ラウンドで体感した。

「自分だけが正しい」と思いこみ、

しかもそこに圧倒的な裏付けが自他共に認めるほどある場合、

相手の表情を読む必要も全くない。

「わたしは正しい、以上」

 

これは、、、ある種すごくシンプルで楽だった。

相手の気持ちなど関係ないのだもの。

こちらの心は一切乱れない。

第一、相手の話なんかろくに聞いてないし。

いつもわたしがついつい一所懸命やってしまうことが 全く要らない

楽ちん!

早い話、周りはみんな馬鹿で間違っていてお話にならないわけだから

もしもこちらの感情に影響があるとするならば、

「いつまでも弱弱いしくグダグダ言ってるんじゃないわよっ!」

みたいなイライラ感くらい。

そっかーこんな感じなんだ!

未体験ゾーンに一歩踏み入れた感じ。

 

もちろん「ぶれない」の質にもいろいろあるけれど

こういうタイプの「ぶれない」の場合を考えると

 

確かに、人の感情に振り回されるのは、しんどいけれど、

少なくとも私は相手の話を、相手の立場にたって

できるだけちゃんと理解をしようとしてたんだということに気がついた。

それって、弱さ?

いや、なかなか素敵なことなんじゃない?

相手のことも理解するけど、自分の本当の心にも嘘はつかない

でいきたいね

でも同時に、「断固として正しい人」は、

周りの人たちのエネルギーを吸い取っていくものでもあるのだなと思った。

人々はとりつくしまもなくやがて萎えていく。

何を言っても届かない。

聞き届けられない。

1ミリほどの穴さえあけることのできないような高い壁がそこにはあり

周りは、疲労困憊していく。

結果、圧倒的に「正しい」「できる」「ぶれない」私(けいこ)は、

孤立していくのだなとつくづく。

 

でも「正しすぎる」人は、

自分がいつもこんなに正しいことをちゃんとやっているのに

なぜ人が去っていくのか不思議だったりもするわけで。

いやはや大変だ。

人が変容していく過程という意味では共感しても、

キャラクター的にはかなり違う「けいこ」を私に演じられるのか不安もあるのだけれど、

「けいこ」の中で何がおこっているのか、ほんの少し体でわかった気がしたのでありました。

まだまだ、始まったばかり。

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片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
25年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

現在子育てをしながら「やりたいことを遠慮せずにやる」NY発信のパーソナルメディア「sakurako.TV」主宰

インタビュー番組「まゆともトーク」を自主制作しYoutubeで放送中。

公開日:2016/12/30