悪筆な自分が「残念」その悪筆は事実か呪いか?

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絵の練習から思わぬ呪い解除へ?

 

 

きっかけは、3月6日に

サウンドヒーラーの星ゆきさんの音とともに開催予定の、おひなさま茶会

我が家に肝心なおひなさまが無い!

 

と思っていたところへ

いつもFBで素敵な作品を惜しげなく見せてくださっている

遊墨民KAZU 先生が「おひなさまの描き方」という

大雪で教室な休講になった生徒さんの自主トレ用を投稿なさっていた!!

先生の完成品はこちら

かわいいっ!

 

手順に従っていけば

誰でも描ける!

と書いてある。(授業料を払っている生徒でもないのに)

やってみましょうとばかり、即挑戦!

 

そして、なんとかできたのがこちら

あら 楽しい!かわいいー!そこだけ春!

そこだけ温度がぽっとあったかくなるような感じで

すごく嬉しい!

ん10年ぶりに絵の具を出してきたことも嬉しかったし

 

これで、おひなさま茶会は万全!やったー

だったはずが、、、

問題がひとつ それは、最後にいれる文字!

 

わたしは、折り紙つきの

究極の悪筆女子

 

学生の頃は先生に

「テストの時は、もう少し丁寧に書いてくれないかな。

すごく苦労して苦労して最後まで解読して、しかも答えが合ってるのも

先生、しんどいんだ。」と言われたり。

 

自分でとったノートも「速記ですか?」と聞かれるレベルで

時間がたつと自分でも読めなかったりする。

 

たまーにやってくる ちょっと「いい言葉」を 「さくら言葉」

なああんて題して

よくあるように 素敵に書いたりしたくなり

そういう書を習おうとしたこともある

 

「うちは、うまいとか下手とか関係ないから」

という書の教室に行ってみたけれど

数回通ったあたりで

「うーん コラボにして、君の言葉を僕が書いた方が早いかも」

と言われた。そりゃそうに決まってる。

それはそれで楽しいお話だったけれど同時に

やっぱり致命的に 下手なんだ〜

 

と、さらに呪い固まる

 

ん10年前に発売された手書き入力のソフトが私の手書き文字を読み取れず、、、

「女の子で読み取れなかったの、君だけ!」

と笑われたこともある。

 

悪筆で、しかもそれが「女子」というのは

かなり点数が低いことらしい。

 

まあ、語るにことかかない 悪筆ゆえのつらいおもいひで。。。

が、あるので

せっかく、描くことで手にいれた ひなまつり茶会用の おひなさまの絵に

なんとか、完成した絵にですよ

最後に字を入れるなんて 私的にはありえ無い!

 

失敗したら、もう一回絵から描きなおせとおっしゃるのか!!!

 

だが、、、

おひなさま茶会のお知らせをするにあたり

やはり 茶会の文字は欲しいとなった

 

しかたなく

ああああダメだダメだ 絶対失敗する!

 

と硬く誓いながら、文字をいれたら こうなっちゃった

 

うーーーーーーん

NGだな

やっぱり 絵だけの方がよかったよな、、、

 

なんだか、なんだか、すごく残念

 

もーやだ この悪筆女子め 使えないっ

 

で、仕方なく 姑息な手を考えた

デジタル処理

こうなった

 

あぁ 便利 見やすい 安全

そして、この絵は サウンドヒーラーの星ゆきさんのデザインで

このように使われることとなった

 

ここで、話は終わるはずだった、、、

 

ところが

FB上で、KAZU先生の生徒さん・ファンの方達のやりとりを拝見していると

なんだか、みんな 同じものを何枚も書いて練習するらしい

 

いやいやいやいや そんな大変なこと無理無理

ありえなーーーい

 

というのも、私にとって 一枚の絵を描くって大変な重労働というイメージだったから

20年ほど前 スケッチにこっていたことがあった

でも、ものすごく細かいところをなるべく正確に完璧に描こうとするので

一枚描くのに 半日ほどかかる

体力、気力ともに めちゃくちゃ消耗する

こんな感じ

 

 

私にとって 一枚の「絵」 ってそれほど

大変なイメージ

描いてる時は夢中だけど集中しすぎて疲労困憊

なので、それに 最後下手くそな文字を入れるとか

同じものを何回も描くとかありえ無い!拷問ですからそれ。

 

しかしまたまた

FB上のやりとりで、カナダはモントリオール在住の ミッキーちゃん

彼女の二枚目の作品に対し

KAZU 先生が

「もう一枚描いたら変わります。」

とコメントしてらした。

 

変わる?何が?何が変わるんだろう?

 

なんとなくその一言に興味がでて

もう一枚、もう一枚、と描いていくうちに、、、というか

先生の手法は さささーと描くので、なるほど 数枚描ける 体力・精神的にも

 

じーっと とどまって重ねていくものではなくて

さーっと 風のように軽く エネルギーが停滞しない感じ

 

とまらなくなって、気がつけば、先生の他のお手本にまで手を出し

こんなことに、、、

 

文字を入れるたびに どうしても

残念

と思ってしまう

ただ悪筆というだけでなく 私の中では

こういう文字をこんな感じで描けると正解、素敵、私好み、という

とてつもなく高い理想があり

それに追いつかない自分が、とてつもなく残念

 

おいつかなくて当たり前

何をいってんだか

あきらめよう いい加減

 

理想は理想

そこへいけない自分もいとおしむんだ うん

残念なまま 自分をまるごと抱きしめて、、、うふん

そして、こんなものを書いてみる

で、ここで終了するハズだった

しかし、なんか この

こうやって

笑顔がいっぱいの ハッピーオーラ満載の

ダンシング雛人形たちに囲まれていると

(ぼんぼり持ってお雛様たちも、五人ばやしの笛太鼓にあわせて踊ってしまう

Kazu 先生の発想がまた 素晴らしい!)

 

 

この真ん中の 絵に超超超超違和感

 

「残念な私もうけいれ、愛します。らぶ」

とかマジで思ってた ちょっと前の自分に

なんだかちょっと

笑えてきた

 

何に追いつこうと?

何に足りないから残念だと?

 

まーお恥ずかしい限り

 

 

なぜ 同じようなレベルに たいしたことないのに

絵は残念と思わず、字は残念と思うのか

もちろん過去の辛い思い出 絵はいい方の思い出の方が多いというのも確かにあるとは思う

 

ただ、

絵は描いているあいだ いつもとても楽しい

何のトレーニングも受けたこと無いのでテクニックもなにもないけれど

好き ただ好き

だから、全員が ダメ出ししたとしても

私が楽しいから それでいい

私が好きだから 人の評価は気にならない

 

字は、、、 あれ?

筆で書く触感 すごく好きだよな

 

今回も、Kazu先生の 絵を描くように書かれる字

ほれぼれしながら

それを真似して何度も描いてみた

 

苦痛じゃなかった

どころか

楽しかった

下書きしたわけでもないのに、、、

だからバランスは悪いけど

全文字、毎回おさまってるだけで ミラクルだし(そーだそーだ)

私の理想とする憧れレベルの結果は出ないとしても

そして

悪筆なのに筆好き ってなんか理不尽だけど

 

なんと!! あーびっくり

そうだった! 楽しいんじゃないか!私 筆で書くこと

そうだった、そうだった

好き、、、だった

筆を触ってるとき

 

だったら、絵と一緒じゃん

世界中の人がダメ出ししても(ないし)

 

私が楽しかったから それで 良し

私が好きなら それで良し

うまいかどうかより

自分が好きかどうか

 

いなおるわけじゃないけど

今の自分が、楽しんで 描く絵も 書く字も全部

 

大好き でいいんじゃない

私だけでも、私の絵と字のファンで いていいじゃない!

そんなに、残念、残念って、汚物見るように、けなさなくても

目をそむけなくても

いいとこ一個くらい あるさ

 

 

わかってる

下手と思うならさっさと練習しろって話なんだけどさ

 

同じものでも心の持ち方で見え方が変わるとするなら

自分責め超マゾ体質からのリハビリ中だけど

気がつけばやっている

特に呪いがかかってる分野だとオートマで自分責めしてるようなので

ここは敢えて

 

こころの持ち方を優しくしてみましたのさ

 

現実は現実としてあるとしてもだな

もう目も当てられないレベルに思える残念な「自分の字」

自分でかけた呪い

の部分もあったかもね

 

だったら

「悪筆の呪い」本日をもって終了

 

すればいいんだわ

それなりにいいよー って自分でほめて育てる(笑)

 

だって、「絶対また失敗する」と思って書くのと

「だいすきー」「たのしー」と思って書くのと絶対ちがうはず

 

「残念」と思っていた 呪いが

こんなふうに溶けていきました。

「楽しい」「ハッピー」「五人囃子の音」「ダンス」「笑顔」の波動はパワフル

 

 

ps

見本を何度も練習する=ものすごい苦手

だったんですが、

この楽しい の「楽」の後ろは おひなさまのぼんぼりの描き方から

地面の青緑は、お内裏さまの着物の描き方から 応用

 

何度もやるうちに、知らず こうやって学ぶのね

ありがたやー

 

おひなさま の絵の描き方から

思わぬ 呪い解除で

 

なんだ自由な気持ちになってきて

三枚目の雛人形の絵 雑にもなったが、同時になんか力がぬけてきた気が、、、

ダンシングおひなさま の変形で

(勝手に)こうなりました

音叉を持ってる星ゆきさんを見せたくて ご本人に送ったら

「これ、お知らせに使っていい?」 って

うれしー  ほら もう呪いがとけてる!



 

その後動画も配信されました

こちら Enjoy!!

 

 

AUTHOR

プロフィール写真
片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
30年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

しばし子育てを楽しむが、50代が見えてきた頃、「余生」と呼ぶには長すぎる人生の後半をどうやって生きていけばいいのかと問い始めソウルサーチングの旅を始める。

  

YouTubeにMayutomo Channelというインタビュー番組を作り、「命」や「宇宙の仕組み」を日常に落とし込んでおられる先生方にお話を伺う。

登録者数は6300人を超え、今も増え続けている。

NYではアーバンシャーマン(都会の長老)的先生方から、体、ムーブメント、声などを使って、自分の奥の奥にある声を感じる方法を学ぶ。

教えを実践していたある夜、自分の中の「聖なる存在」と体感的に再会。

いついかなる時も自分だけを愛してくれていた存在が自分の内にいてくれたことに感動し、押さえつけ無視し続けてきたことを詫び、そこからはその声を感じて行動すると誓う。

そうするうちに、深い喜びと感謝が内から溢れ出し、もう満ち足りているので、何もしなくてもいいと感じ始めた途端、突然57才でショートフィルムの主演女優デビューしたり、58才で自作のミュージカルショーの舞台に立ったりと、思いもよらなかった、本人も忘れていた大昔の夢が、棚からぼたもち的に勝手に叶いだし、人生は宇宙の台本どおりなのだと実感する。

魂の声どおりに生きる喜びをショーや語りで表現し、アラフィフ世代の背中を押し続けている。

ショーの動画はこちらhttps://www.notsosuperherogirl.com/about

片岡桜子(長い長い)プロフィールはこちら

公開日:2018/02/25

最終更新日:   2018/02/26