人が持ってる「それ」が羨ましかった&実は自分も持っていた!!

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もう持ってたなぁ

初めて神戸で

「人前で話すのが楽に楽しく好きになる話し方ワークショップ」

を開かせてもらった時

 

主催してくださった あおいさんが 打ち合わせの時に

聞き上手、聞くプロだから

「こんなこともあった」と私がいうたびに

きゃあきゃあ、喜んでくれるので

「それならこんなこともあったよ」と調子にのって思い出して話して、書いていったら結果

おそらく世界で一番長い(笑)プロフィールが書きあがった

そして大事なことに気がついた

 

~ 片岡桜子プロフィール ~

今から約40年前、
大学在学中よりプロの訓練を受け、
京都テレビや朝日放送ラジオの番組、
イベントの司会など、
しゃべるということを
仕事として始めることになりました。

このまま順風満帆にアナウンサー人生を、と思いきや、
ここからが波乱のしゃべり人生の始まり。

学生時代に数々の経験を積んできたにも関わらず、
「あなたの声はアナウンサーとしては個性的すぎる」と指摘を受け、
大都市圏のテレビ局で採用されることなく、
関西近郊の滋賀、京都、岡山など、
いわゆる地方のテレビ局で修行を積むことに。

ところがこの修行のおかげで、
「用意された原稿をただ読む」だけではなく
「自分で題材を選び」
「自分の言葉でしゃべる」さらに
「番組の内容企画にも参加する」という力が鍛えられました。

例えば琵琶湖放送「おしゃべりフリーウエイ」という番組では、
90分台本なし、
視聴者からのお便りを頼りに
一人でしゃべり続けるという
ありえない番組を担当。

外取材に至っては、
たまたまそこにいる普通の人たちに話しかけて
ネタを引き出して10分間もたせる、という、
一切ヤラセなしの過酷な取材をやりこなし、

道行く人に突然話しかけて、
番組でかけてもらいたい曲を言ってもらう
「突然リクエスト」という企画では、
地元大手のスポンサーもつき、局からとても感謝されました。
一週間日替わりのパーソナリティーの中では一番人気でした。

そんな修行時代を経て、1985年、
関西テレビ朝のニュース番組キャスターに就任。
関西テレビ専属として4年間、
同テレビ昼の天気予報、
料理番組の聞き手などを担当しました。

ニュース番組でありながら、二体の人形を使い、まるで腹話術のように
英語と大阪弁の面白英会話ワンポイントレッスンのコーナーを企画、担当。
当時としてはとても斬新で人気コーナーでした。

ちょうど同じ時期、FM大阪の生番組のパーソナリティーを、週に二回
DJの方と組んで担当したことがきっかけで、

1989年(29歳)、ニューヨークに移るのと前後して開局したFM802の
看板DJに就任したヒロ寺平氏からの指名で、
その番組の中の「ホットラインNY」というタイトルの生リポートを
毎週12年間送りつづけました。

事故で入院中のグロリアエステファンの病院に
数時間潜入してメッセージをとりつけたり、
自らNYシティーマラソンを完走しながら特別番組を制作するなど
数々の武勇伝を作りました。

一方、NYで語学学校からスタートした英語力に日々磨きをかけ、
NY大学大学院スピーチ&インターパーソナルコミュニケーション科の修士課程に合格。

卒業後の1991(31歳)、
フジテレビの朝の番組のニューヨーク駐在レポーターも務め、
ポールニューマン、メルギブソン、ティムロビンス、エマトンプソンなどに
インタビューさせていただきました。

こうしてキャスター、レポーター、アナウンサー、パーソナリティ、
ありとあらゆるしゃべりの仕事をやってきましたが、

ニューヨークでのアナウンスの仕事には限りがあり
年齢的なハンデもあると判断し、
将来の安定性も鑑み、ここでまた一念発起。

1995年、全くの畑違いの日経BPのアルバイト募集に応募し採用され、
バイトからコツコツと経歴を積み上げて、正社員へ。

そして1997年シティバンクに転職。
平社員から始まって、投資関係の商品も販売できるようになりました。

その間も会議の合間をぬってFM802へのレポートは送り続けていました。

シティバンク在籍中に、NHK夜のニュース「川からみたNY」シリーズの
オーディションの話があり、

一週間の生中継に耐えうる技術のある人で、
なおかつ普通に仕事をもち生活をしている人が望ましい
という条件にマッチし、見事合格。

有給をとってバイリンガルレポーターとして出演し、
NHKの全世界ネットワークで放送されました。

2000年に結婚。やりたいことはもう全てやり尽くした感をもって、
金融の仕事からも放送の仕事からも退職しました。

ところが妊娠中、「注文の厳しいお相手なので、大人で力があり失礼のない人」を
フジテレビが探しているということで、白羽の矢が当たり
大きなお腹のまま、なんと、
あのオノヨーコ女史にインタビュー。
「うまれたらうちにいらっしゃい。お母さんのお腹の中にいるときから知ってるのよーって言うから」と彼女に言われたことはちょっとした自慢です。

43歳、出産後はしばし子育てに専念するも、
趣味で始めた着物の大きな会でマイクを持った途端、
人前で話せることがばれてしまい、

ニューヨークグランドセントラル駅で行われた
日本文化紹介のステージでの着物ショーの企画件司会など
引っ張り出されるように。

その後、まゆともチャンネルという、
有名人を数珠繋ぎでインタビューさせていただき、
その模様を動画でアップするというyoutubeのチャンネルを自ら作り、
やましたひでこさんはじめ、おのころ心平氏、数々の著名人を
インタビューさせていただきました。

2015年自分の体験をもとにした
「本当の私宣言」というワンウーマンショーを書き
ニューヨーク、神戸、東京、岡山で公演。

2017年にはショートフィルム “Keiko’s Hands”
でいきなり主演女優デビューを果たし、

そこでもカメラやライトの前での経験の積み重ねが、
演技経験のなさを補ってくれました。

同年秋には、ニューヨークで、
7つのチャクラの性質を色、音楽、ダンスで表現するショー「在」に
芝居とダンスと朗読を融合させたようなパフォーマンスで出演。

またマグネットシアターのストーリーテリング発表会ショーでは、
自分の中の女性性に対する思いを語るという
新しい分野にもチャレンジ。

現在は、「本当の私宣言」パート2ともいうべく独自のワンウーマンショーを

言葉の壁を越え、英語人の観客の前で、
英語でも「伝わる」ところを目指して挑戦中。

ーーーーーーーーーー

あぁ長かった

 

気がついたこととは、、、

 

わたしは、いついかなる時もほんと200パーセントがんばってきたなあ

 

仕事をやめてニューヨークに来た時

「あれだけの思いで皆の反対を押し切ってやめたのだから、

今度は新しい土地で、新しい分野で同じくらい成功しなくちゃ話にならない」

過去は過去。過去に頼らないと決めて線を引いた。

 

そうして自分の首をしめた (まじ)

 

だから過去を、がんばった自分も、結果をだしてた 自分も

いつの間にか、全部

ないことにしてた。

 

過去のささやかな栄光にすがりついてるのもそれはかっこ悪いけれど

だけど何も

ないことにすることもなかろう

 

等身大で わたしはがんばった

そのことはちゃんと労ってあげよう

ほんとによく頑張ったよ うん よくやった

 

 

頭でわかってはいたけれど

そして、「本当の私宣言」のショーでも 確かそういうことに触れていたにもかかわらず

本当の本当に心底そう思い

心底自分を自分でねぎらう

というのはどうやら別物らしい

 

そうやって 過去の自分もしっかり丸ごと抱きしめたら

あっという間に、初めてのワークショップは満席に。

(もちろん主催者の方の人望が大きいですが)

 

年あけて春、今度は東京で ふみこさんが 開催してくださる

それも あれよあれよという間に埋まっていった

 

そして思う

 

私はずっと憧れてた

資格、とか 何かの先生だとか 権威をもってそのことを語れる人が、、、

自分もそうなりたかった

 

あははは

持ってたわ もう

 

そして、周りはみんなそれを知っていた

 

「いやいや、あれはいいから、もう済んだことだから」

とかなんとかマジで思って

ないことにして

一所懸命 他を探していた 大ばかものの物語でありました。

お粗末さま

 

 

AUTHOR

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片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
25年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

現在子育てをしながら「やりたいことを遠慮せずにやる」NY発信のパーソナルメディア「sakurako.TV」主宰

片岡桜子(長い長い)プロフィールはこちら

公開日:2018/04/13