過去の自分と和解すると、未来の自分が見えてくる

こっそり苦しんでいた過去の自分に、何を伝え何を誓う?

 

実家の取り壊しのため実家の(かつての自分の部屋を)片付け

30年手付かずでそっくり残っていた その部屋は

逆玉手箱

29才から12才までの自分を遡るタイムトリップ

 

思い出の「物」たちを片付けながら

今の自分だからこそ その時には気づかなかったことが

たくさん見えてきた

 

テレビやラジオに出演した頃に取材された記事を通して

当時の自分の本音を聞いてしまった。

わかってたけれど、認めたくなかった本音。

でもそれを聞いたら、

今の自分が、なぜ 「仕事」のような形で一歩踏み出すのに 今ひとつ躊躇するのか

謎が溶けたし

これからどうしていったら良いかもわかりました。

 

過去の自分と和解する

本音を感じて、理解して、その意味を大人になったあなたが教えてあげる

そして今とこれからを教えてもらう

もし面白そうと感じられたら、試しにやってみてください。

 

その誘導剤として、長い長いですが、昔話のようにお読みいただければ幸甚なり

30年前にニューヨークに来た時から、ほぼ手付かずのまま

そっくり残っていた自分の部屋の「物・物・物」の中に

 

封筒があって、母の走り書きがしてあった

当時取材された記事の切り抜きがたくさん出てきた

娘が載っているものは、大事に保管しなきゃと思ってくれてた模様

今やユーチューブで誰でも今すぐ自分のチャンネルがモテる時代だけれど

当時はまだまだメディアに出るのはやはりそれなりに大変だったので

取材された模様

 

「何かを成した人」 としてではなく

「メディアに出ているギャル(昭和だー)」 として取材されているので

はっきり言って大したことは書かれてないのだけれど、、、

(もっくんより写真がー(顔が?)ーでかいじゃないか!)

 

共通してるキーワードは

 

真面目・明るい・頑張り屋

今も順調にブレてない(爆)

 

ただ、気になったーというか

我のことながら、ちょっと「気の毒」だったなぁと思うのは

このセリフ

 

「、、、でも仕事が終わって3分くらい

自分の心がイキイキ、ウキウキしているのに気が付いたんです。

 

やっぱりこの仕事好きなんだなぁって、、、」

 

おいおい

20代後半 超売れっ子だったさくらこさん

休みもほとんどなくて、睡眠時間も4、5時間

というほど仕事ばっかりしてたのに

その生活の中で

心が弾んでるのが

たったの

3分かい!

 

短かすぎる

あまりに短い

 

じゃあその3分以外は、、、???

しんどかった

えっ?

 

しんどかった

 

ええーっ

 

早朝番組担当で、他にも番組を担当し

土日は司会の仕事で埋まり

毎朝4時半起きで睡眠が足りていなかった

などという

体の疲れ

はもちろんのこと

 

今ならわかる本当の疲れの原因

 

それは

 

全く真逆の価値観に引き裂かれていたから

 

時代と、親と、自分 の価値感がバラバラ

 

男女雇用機会均等法が成立したのが1985年 5月

私が大学を卒業したのが1982年

生まれてくるのが3年早かった

 

関西のテレビ局で局アナの採用はなく、フリーで番組ごとの契約だった

(採用があっても、この声では採用されなかっただろうけれど)

 

 

腰掛け

結婚するまで「社会経験」「出会いの場獲得」としてする就職

それが当たり前の時代

 

でも

少しずつ

「女性もこれからは、どんどん社会に出ていく時代」

ということも言われ始めた頃でもあった

何にも覚えていないけれど 当時の自分の部屋の本棚にあった
「これからの女性はこうあるべき」
出ました!「べき」
今なら 「べきなんていわれたくない」と思うけど、、、
ある意味もう一回読んでみたい(笑)

 

 

(いつの時代もそれぞれの悩みがあったろうけれど)

新旧の価値観が、混沌と混ざっていた時代

その対策や起こりうる問題への解決策も何もないまま

 

 

 

私は嫌だな 腰掛け

食べていくためにする仕事じゃなくて

結婚相手を見つけにいく就職じゃなくて

生涯生きがいになるような仕事につきたい

 

でも、家庭も持ちたいな

 

だから、こんな本も読もうとしたのね当時の私

仕事分短くなる家事用の時間を、楽々にしようと思った模様 

嫁にいくまでならと

親も許したと言う状況

 

せっかくついた仕事なら、そこでさらに成果を出したい自分

1日も早くやめて、真っ当な道(笑)に戻って欲しい親

 

いいひとのところへ嫁にいき、女として幸せになってほしいと

 

下手に(やくざな!?)業界で成功すればするほど

親と世間的には

規格外女子のレッテル いい結婚話から遠ざかる

35年ほど前の話ね

 

 

難儀なことに

その「まっとうな道から外れた」感は 親だけでなく

その言葉を日々聞かされて育った私自身も、残念ながらしっかりもっており

苦しむ

 

 

だからこの本は興味津々だった

女性の真の自立を妨げているのは

女性の中に根付く「王子様に救済されたい」依頼心だという

 

著者のコレット・ダウリングは問う

「社会的に、女性は解放されつつある。法律も、男女平等を唱えている。

今、女の自立を阻むものーそれは、女たち自身がもつ隠された心の葛藤であることに

あなたは気づいているだろうか。」

 

この本がアメリカで出版されたのが1981年

日本で翻訳本が出たのは翌年

 

驚いた

日本女性よりはるか先を歩き

すでにガンガン社会で活躍しているはずだった

アメリカの女性たちですら

自分の中の、その壁で悩むのか!と

 

話は少しそれるが

それから10年ほどのち

ニューヨークのラジオシティーで

確かディズニーソングを集めたような大規模なショーを見ていた

 

小さな女の子たちを連れた家族づれで溢れる客席

Some day my prince will come♪

「いつか王子様が」

の曲が流れ、実際王子様が出現した時には

キャパ6000人のラジオシティーが どよめいた

はぁああああああ〜と

ピンクのため息でどよめいたのだ

しかもどよめいたのは、小さな女の子たちではなく

その母たち、大人の女たちだった

 

当方、NY在住独身キャリア志向組の日本人女性二人連れ

「これじゃ、男が現れないと、女の幸せが完結しないみたいじゃないか!

ここはアメリカなのに!ニューヨークなのに!」

 

と大いにぼやいたのを覚えている。

Some day my prince will come♪ と

白雪姫に歌わせた(1937年)ディズニーのせい!?

 

だったかどうかは定かではないけれど

丁度そのあたりから、ビューティーアンドビースト のベラのように

ディズニー映画のヒロインが

綺麗なだけでなく頭も良くて、自立しているキャラが強調されるようになった。

 

シンデレラコンプレックスが出版された頃に話を戻そう

日本ではまだ

 

男女雇用機会均等法も成立しておらず、

男社会のマスコミ業界に

若い女性 として若い間だけそこにいる間はいいけれど

そう若くなくなり、意志も意図も表現しだすとこれまたややこしくなってくる

 

セクハラ

モラハラ

なんて、言葉もコンセプトも、入ってきてない時代

それが日常、ディフォルトな時代

 

私は、色気がない ことでからかわれたタイプだったけど

色気があってもなくても

 

 

 

傷ついていく心

それ以上傷つかないように麻痺していく心

 

でも一々泣いてなんかいられない

「だから女は」なんて意地でも言われたくなくて

後からくる女性達のためにも 泣いてはだめ、、、(頼まれてないけど)

 

加えて、同業種の友人は作りにくかった

ただでも良いからと

私のいた席に座りたい、若くて可愛い後輩たちが山ほどいて

おちおち、休みも取れない

ちっともフリーじゃないフリーランス

なんだか毎日が

 

戦い

 

「関西では、気のいいおばさんに仕事はあるけど

知的ぶってるおばさんに仕事はないぞ」

 

「君と違って、若い奴は全く仕事ができない

でも、できない奴ほど 可愛くてなぁ」

 

ここで頑張る意味はあるのか

この仕事 向いていないのじゃないか

って自分も感じていていたからこそ

 

取材された時に

「、、、でもやっぱりこの仕事好きなんだなと思って、、、」

 

と答えたんだと思う

 

 

そしてもっと驚いたのは

好きな仕事をしているつもりだったけれど

腰掛けのお茶汲みよりやり甲斐はあったとしても

実は

 

ギリギリ親が許してくれる範囲内での「やりたい仕事」だった!

 

と、今の私は思う

 

きっと本当の本命の願いは、舞台の上で表現することだったんだと思う

だけどなぜか

 

「ないない、それはない」

 

と最初からナイことにしていた不思議

 

 

 

華やかでエキサイティングな仕事をして

人並み以上に稼いで

何の文句がある!?

 

と言われたらその通りで、そこで終わるけど

 

だからこそ、外から見える

キラキラな人たちの 本当のところなんて

わからないんだなとつくづく思う

ーーーーーー

 

楽しいこともたくさんあったけど

しんどかった

それが本音だった

 

体・心・魂 全部に無理をさせていた!

そしてそのことに気づいてもおらず

そのあたりを紐解いてくれる人も、ネット情報も周りになく

 

伝えたい

あの頃の私へ 30年後の私より

 

そりゃしんどくて当たり前だよ

時代、親、自分、三つのバラバラの価値観に

引き裂かれながら孤軍奮闘してたんだもんね

そりゃ苦しい。わかるよー。

でもほんと そんな中、よくやった。

よく踏ん張った えらいっ。

それからね。

あの時、明るく真面目に頑張ってくれたからこそ身についた

おしゃべりの技術は一生もの。

あれからずっと、そして今も

いろんなチャンスの扉を開け続けてくれているよ

あの時しっかり稼いでくれたおかげで、今も好きなことができる ありがとね

そしてなんと!

 その時代の日本の放送界では、大きな欠点だった「変な声」が、

アメリカでは「よく訓練されたいい声」だと言われ

今一番やりたい「舞台で表現する」という新たな挑戦において

人前に立ってきた経験と

その欠点こそが30年以上後に、

一番心強い味方になってくれてるって面白くない?

あり得なかった歌まで歌ってる(笑)

全部 あなたのおかげ 真面目に頑張ってくれたおかげ

大勢の人たちとは違う道を選んで不安でも

「道をはずして」なんていなかったよ

 

大正解

ちゃんと宇宙の台本を順調に歩いてたんだって今はわかるよ

大丈夫

そのまま 迷って悩みながら頑張ってるあなたがそのままで順調&完璧!

 

真面目で、明るいだけが取り柄で、頑張り屋のまま

思いっきり落ち込んだり、舞い上がったりしながら頑張ってて、間違いなし!

でもさ

あなたの頑張りを無駄にしないためにも

ここからは

自分にとって本当に大事なことをだけに耳を傾けていく

本音の純度を上げていく

と再度誓うよ

「これからの時代は」って言葉にも用心する

親も尊敬する人の意見も関係ない

「私は本当はどうしたいのか」以上

 

そしていくら、名前が売れたり、大きなお金が儲かったとしても

体も心も魂も疲弊するような

そんな働き方は二度としないからね

今ひとつ、本格的に忙しくなってしまう〜売れてしまうのを

望みながらすごく恐れている今の私

あの時、しんどかったから なんだね

働くか働かないかも

働く分野も

働き方も選ぶのは自分

 

イキイキしてるのが本番終了後の3分間なんて生活 二度とさせないから

舞台に上がっていようが、庭の掃き掃除をしていようが

喜びに溢れていようが、落ち込んでいようが

何をしていようが、毎瞬毎瞬イキイキ生きていくよ

そう誓います

いつの時代のどんな私(あなた)も順調で完璧

 

ありがとうね 大好きだよ

AUTHOR

プロフィール写真
片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
30年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

しばし子育てを楽しむが、50代が見えてきた頃、「余生」と呼ぶには長すぎる人生の後半をどうやって生きていけばいいのかと問い始めソウルサーチングの旅を始める。

  

YouTubeにMayutomo Channelというインタビュー番組を作り、「命」や「宇宙の仕組み」を日常に落とし込んでおられる先生方にお話を伺う。

登録者数は6300人を超え、今も増え続けている。

NYではアーバンシャーマン(都会の長老)的先生方から、体、ムーブメント、声などを使って、自分の奥の奥にある声を感じる方法を学ぶ。

教えを実践していたある夜、自分の中の「聖なる存在」と体感的に再会。

いついかなる時も自分だけを愛してくれていた存在が自分の内にいてくれたことに感動し、押さえつけ無視し続けてきたことを詫び、そこからはその声を感じて行動すると誓う。

そうするうちに、深い喜びと感謝が内から溢れ出し、もう満ち足りているので、何もしなくてもいいと感じ始めた途端、突然57才でショートフィルムの主演女優デビューしたり、58才で自作のミュージカルショーの舞台に立ったりと、思いもよらなかった、本人も忘れていた大昔の夢が、棚からぼたもち的に勝手に叶いだし、人生は宇宙の台本どおりなのだと実感する。

魂の声どおりに生きる喜びをショーや語りで表現し、アラフィフ世代の背中を押し続けている。

ショーの動画はこちらhttps://www.notsosuperherogirl.com/about

片岡桜子(長い長い)プロフィールはこちら

公開日:2020/02/22