四十年かけて一周回って元へ戻る
大事なことは19の春にすでに「わかって」いた
19才の新春
ドライブ中、車ごと谷底に転落
第3、第4頚椎突起部損傷
全身不随の可能性を医者から宣告された
「若いのに気の毒やけど」
なんとかそのまま神経に触らないように
首を固定したままの寝たきり治療が続いた
曲がりなりにも、骨折部分が回復し
起き上がってもよくなってからも
器具で首の動きを固定する毎日
入院生活中につけていた、サンリオの日記帳には
ティーンらしい
恥ずかしいこともたくさん書かれているのだけれど
身をもって
生かされている命
日常の当たり前は当たり前じゃないこと
自分の意識とは別のところで
損傷した部分が、回復していく不思議
を体験した直後
稚拙ながらも、大事なものに触れている自分がいる気がして
恥ずかしながらシェアさせてください
40年前の3月3日 19才の片岡桜子が入院中のベッドで書いた日記から
やっぱり人も自然の中の一つなんだ
人間は
花の世話をしてやっている
ように思ってしまっているけれど
本当は、花の方が偉いな
自然に逆らわずに
自分に与えられた
生きるという義務を果たしている
花が咲くのは
何もその姿を私たちに見せるためじゃない
与えられたことを
与えられたとおりに生きた結果
人も
そうあるべきなんだろうけれど
なまじ「考える力」があるために
その与えられた義務を
体で感じ取る力が衰えてしまっているように思える
自然は、本当に筋が通っている
自然の成り方を、お手本にすれば
割と間違いなく過ごせるんじゃないか
バラにはとげを
タカには爪を
それぞれ自分を守る武器を持たされた
人も自分を守るために「考える力」を持たされた
でも、だから高等な生き物であるというより
そのせいでかえってはみ出している気がする
花は、知ってかしらずか
虫たちを育てる助けをし
助けてもらい
私たちを慰めてもくれる
あぁ、花が偉い というよりは
全ての自然の在り方を創り出した
その「何か」が素晴らしい
そして
その「何か」はそれほど偉大な存在なのだから
私たちの
自然の中での位置や役割も
花と同じように
きっと決めているはず
私は時々ハッとするのだ
この地球上で
一所懸命悩んで考えて生きている
自然にあるものを駆使して生きている
そう人間が考えているこの地球は
実は何かもっと大きなものの中で
子供が蹴って遊んでいるボールくらいのもの
でしかないのかもしれなくて
想像もつかない
その、誰も見たことのない
偉大なところから見たら
ボールどころか、石ころくらいに小さいもので
でも、その石ころこそが
その偉大なる「何か」そのものなのかもしれない。
1980年3月3日 病院のベッドで
命や宇宙の仕組みを
大人になってから勉強したり
まゆともチャンネルのインタビューで先生方に教えていただいた
と思っていた(もちろんそう)のだけれど
四十年前の私は、すでに身をもって
「わかって」いた
ことに改めてびっくり
あれから
仕事で挑戦して自分を試してみたい とか
お金を稼いでみたい とか
恋愛をしてみたい とか
結婚したい とか
海外に住んでみたい とか
通るべきところをとおって
また戻ってきた模様