生ゴミが、また花となり、私たちの命にもなってくれる!
生ゴミが、また花となり、私たちの命にもなってくれる!
ま、まさか こんな日が自分にやってくるとは!
私的に大変珍しいことをやって、
今日のNY地方の雨を降らせたのは私かも。
ご飯の用意で出た生ゴミを
(冷凍庫で保存して、それをこの忘れっぽい私が忘れずに)
ユニオンスクエアーにある回収所へもっていった!!
lower east side ecology center (http://www.lesecologycenter.org/composting/compostdropoff.html)というところが
やってくれているプログラムで
生ゴミは、ここからちゃんと処理されて
三ヶ月後には、肥料や肥えた土へと姿を変え、
同じ場所で販売される。
そしてまたそれが
新しい命を生み出し
私たちの命の一部にもなってくれる!
なんてすごいんだろう
考えてみれば
生ゴミ=汚い=くさい などと連想するけれど
それもずいぶんと失礼な話
「人参は自分よりもはるかに固い土を
掘って掘って掘って命いっぱい生きて来た。
私たちがいただくのは、
にんじんを祝福してくれた宇宙の全エネルギ-
(雨、土、空気、人力などすべてーという意味ー桜)の
凝縮物なんです。
このエネルギ-を体に入れることによって、
私たちはこの地球上で生きてられるし、
私はこうしてしゃべることができるんです。」
(船越康弘&かおり著 野菜たっぷり重ね煮レシピより)
そんな野菜の命をもらっておいて、自分が食べられないから
生ゴミと呼んで捨てるって
めちゃくちゃ傲慢なことだったのかも
(だしをとったりして、全部使いきる方もおいでだけど
まだそこまでいけないので)
エンパイヤーステイト㌱と同じ量のゴミを
毎日排出しているニューヨーク。
私もおおいにそこに加担しているので
えらそうなことはいえません すみません
でも、今日感じたのです
いただけなかった「命ののこり」をゴミという「害」にするのか
それとも
またそこから花や野菜を生み出してもらうのか
決めるのは自分だって
というか
自分で決められることなんだ って改めて。
そこがスゴイ
「そうするべきもの」
「みんながそうしてるから」
「はやってるから」
「そういう流れだから」
じゃなくて
小さいけど
オーバーに言えば宇宙の一員としての
自分が正しいと感じた決断を
思ってるだけじゃなくて
実際に行動にうつせたことが嬉しいのさ
自分でびっくりだ
決断して、忘れず、先送りにせず、行動にうつせた
ささやか~なことだけど
それでも少しだけでも寄与できる
すべての仕組みに
感謝の気持ちを示せるってもんだ
「今頃何言ってんだ」って
笑わないで、からかわないでやっておくれね
何だってなにごとも「本当にわかった」時がはじめドキ
今までこういうのは、
「特別な意識のある偉い方達だけによる素晴らしい行動」
とずっと思ってた。(再びすみません)
でも
できたんですよ
こんな怠け者の私でも
今朝、しばらく見ていると
雨の中、「心ある人たち」が
生ゴミをもってやってくる
一人、またひとり と
老若男女を問わず
わ~ すごい ありがとう!そして
今までごめんなさい
この、恥ずかしながら、本当にはあまり意識が高くなかった
残念ながらその部分はかなり落ちこぼれ主婦感のある
(今までは!と強調しますがね)
この私がマジで持っていったなんて、、、やっぱり奇跡だ!
なんて気持ちがいいんだろう!
なんという達成感!
想像してごらんよ
こんな小さな行動ひとつで
同じものがゴミのままもっと汚くなっていくか
あるいは花や野菜に変身して
知らない誰かをちょっと元気に幸せにするか
決まるなんて
すごくない?
こんなに嬉しいと
なんだか私でも続けられそうな予感
うきうきしてきて なんだか
スィーンギング イン ザ れ~い~ン♫ ♫
たったた~ん♫