清濁あわせて「ありのまま」だよね
花と歌にまた教えてもらう
3月23日 天理culutural Institute で
鶴田信子さんの個展のオープニングナイトの
ミュージーックパフォーマンスゲストとして
Saco Yasuma&Friends のミュージックパフォーマンスがある
そのFriendsの一人として、わたしも英語訳を朗読させてもらう
人前にでることも、そこで朗読することも
さほど心配はしてない
つらの皮が厚いからじゃなくて、
若い頃にしっかり受けた訓練と
積んだ現場の経験を信じているから
でも、去年末のあとわコンサートにゲスト出演させてもらった時からの挑戦は
また新しい
サコさんの描く世界
激しく共感し惚れちゃったその世界を、
初めて聞いた時の感動と喜びのままに、
その場で100%感じきれるか
心底ピュアな感覚をそのまま表現できるか
マイクをもって人前に出ると
ついオートマで、本当に自分が感じていることには
一旦ふたをして、その場を和やかにスムーズにすすめていこうとしてしまう癖を出さずにいられるか。
コンサートは、
「ありのままが美しい」 という曲でスタートする
高い波動というか
自分のあり方の調子も整えて臨みたい と思う
だのにだのに、ああだのに
数日前に 自分で自分をどよんとさせてしまったことがあり、
もうこんな時に!!
100% すっきりさわやかじゃない自分が
「ありのままが素晴らしい」
などと、とうとうと詠うのは
うそっぽいじゃないか
、、、という想い
それで、朝早くセントラルパークの森へ
ずんずんぐんぐん歩いて歩いて
まだまだとても寒くて
早まって咲いてしまった花たちが
こおったように一斉に倒れてて、、、
その花をみて、最初は
あらまー と思ったのだけれど、やがて
サコさんの曲が頭の中聞こえてきた。
海辺にさく野ばらの姿から、、、
「ーーー来るがままを受けとめて
そよぐその姿
大地の息吹と共に
ここに生きる
自然が私に教えてくれた
素敵な秘密
ありのままが美しい
ありのままは心地よい」
あぁ そうだった
「くるがままを受け止めて、、、」
曇りのない 透明な うまれたままの ありのまま
あこがれるけど、目標だけど
人間だもの
キラキラの時も
咲いたまま風に凍って倒れている時も
散ってしまったあとも
100%すっきりさわやかな時も
ちょっとどんより含みの時も
それら全部全部 込み込みで
「ありのまま」 の命だよね
つい忘れる
100%清らか、すっきりでないと だめな気がしてたりしてる いつのまにか
あ、そうだ そうだ それでいいのだ
自分で曇らせたことも
初心に戻ったら、自己解決
気持ちよくのぞめる今夜のパフォーマンス
またひとつ わからせてもらったのでありました。