褒められ上手へのリハビリ 道は遠し

サプリ言葉は「レッツ傲慢!」たまにはゴーマンで行こう!

うちの子は、4才くらいの頃から

自分も納得している部分を褒められたのでない限り

「ママは僕にXXをさせようと思って(おだてるために)言ってる。」

と言って怒ることがあった。

 

褒めて育てたいと思ってもなかなか受け取ってくれない

かと思ったら、意外なところで素直に「ありがと」って受け取ったり

もう、わけわからない。

 

私が子供の頃は、ほめられたらもうドンドンばんばん木に登る。

お世辞だとわかってても、嬉しい。

しんぷる〜 たんじゅーん!

 

「ママは、褒められたら、なんでもすーっごく嬉しい子供だったんだけどなあ」

と、子供にいいながら

 

はっと気がついた。

そうだった。実はわたしは

よくいえば「褒められ上手」

悪くいえば「おめでたい」

子供だった。

なのに、、、大人になった私ときたら、、、

 

せっかく人がほめてくれても

「いえいえいえいえいえいえいえ とーんでもない あなたこそ」

 

だって

自分だけほめられてると、なんか居心地悪い

横並びでみて、ちょっとだけ頭が出てしまったようで、出た分叩かれそうで、怖い

小さくなろうとする妙なバランス感覚

 

ほんとは、実は、ちょっとイケテルと思ってる時ですら

「いえいえいえいえいえいえいえ とーんでもない まぐれ。皆様のおかげ。ただのラッキーです。」

褒められてそのままとって、好い気になってたら

なんか

タタリが起こりそうで怖い

 

もっと、すすんで

例えば、そこにいた全員がほめてくれたとしても

「いやいやいやいいや、これは社交辞令というもの。まともに全部受け止めてたらえらいことになる!

いい気になるナ自分!あそこも、ここも、そこだってとんでもなくダメだったじゃないか!

みんな本当のことは言わないから。きっと心の中で笑ってる。私のいないところで、バーッカじゃないの?って

クスクス笑ってる。。。」

 

けっこう、これって私の中に長いことあった 古い「想い」

ワォ

 

いつの間に、こんなに

素直じゃなく

可愛げもなく

でもその奥で、弱い自分が傷づかないように

必死で予防線はる

怖がりの私になってしまったんだろう

 

親の教育 先生の教育 女子校時代の村八 古い価値観で成り立っていた業界での仕事

思い返せば、褒められて素直に喜んでたのは小学生中学年までだったか!

それから、ほぼ半世紀!!!

あぁなんてこと

 

親も先生も上司も

私が社会の荒波の中で井の中の蛙にならないように

親ごころ

愛という名のもとに

注意してくれたまでのこと

そして現に、そんな見せかけの謙虚さが

私をここまで連れてきてくれたところもある、、、のかもしれない

いろんな目標を達成して

いえば夢みたいな生活してるのに、、、

時々陥る プチ鬱

 

おかしい

 

調べてみると

鬱になりやすい人は

自分に起こったできごとを

必要以上に、わざわざ自分が苦しむように解釈する癖があるそうな

なぜかはわからないけれど

 

その、マゾ的な現実世界の解釈の仕方!

まさに私はそんな大人になっていた

 

なぜそうなったかーとかどうでもいい

 

問題なのは

「自分にはそういう癖があり

そのことが自分を苦しめている」

という事実!

 

これはもういらない

私のためにならない

私を幸せにしない

 

もう今となっては

大きな誤解でいい

おめでたいヤツでいい

世の中の真実からちょっとずれてる変な人でいい

大事なのは、私の心の平安

 

必要以上に、自分で自分を

苦しめない

いじめない

 

自分をいじめるな!!

 

人がほめてくれたら

ちょっぴり照れ臭くても

 

「うわーうれしいなーありがとう!」

と素直に言おう

心の中で

(えへ、ほめられちゃったよ 桜子さん よかったね)って喜ぼう

 

一応大人なので

そして、それは真実だから

「支えてくださった皆様のおかげです」と本気で感謝の気持ちをちゃんと伝えたとしても

心の中で私は言うよ

((でも、一番がんばったのは、桜子さん あなたです。よくがんばったね〜えらかったね〜って ほめてあげる))

 

いや、正直

恥ずかしい

さすがの私も

でも、

 

自分の中の自分を

半世紀いじめまくってきた

それに気がついたのだから

ここからは、

大事に育てなおそうと思う

 

若者たちよ

せめてこのおばちゃんの半世紀にも及ぶ遠回りと無駄に苦しんだ日々の恩恵として

聞いておくれ

 

人に褒められたら 素直に受け取るんだよ

それで好い気にならずに頑張り続ける心がけは素晴らしい そうしてください

でも、ちょっとにやけた恥ずかしい口元になったとしても

胸をはって、「ありがとうございます」って言おう!

 

もしも、「君なんかダメだ」という人がいたら

たとえそれがすごいパワフルで尊敬する人だったとしても

そして社会人として「さらに精進します」と答えたとしても

すぐに自分に言ってね

 

「それでも、ぼくはぼくを信じます」って。

胸をはって言ってね。

嫌な気持ちが消えるまで言ってね。

何度でも  何度でも

そしてくじけずにやりたいことをやり続けてね。

本当にダメだったら、それをやりたいという気持ちにはならないはずだもの。

 

などと、妙に熱くなりながら

12才と13才男子に向かって、演説をぶちまくった

彼らも珍しく耳を傾けている

よかった

マゾな私の苦しみが若者の未来を少しでも楽にするならば、、、本望じゃ ウルウル

 

そこへ息子が

「ねえねえ、ママって 絵を描くの上手だよね」

と突然言った。

 

この息子の友達(13才)T君は天才的に絵がうまく

本人も将来は世界的な漫画家になるべく頑張っている

 

そんなT君の前で、私は、褒められ上手リハビリ中とはいえ

ひるんだ

 

「ママ、絵を描くの上手だよね」

「えっ?いやいや、あ、、あ、、、たいしたことないよ。ダメだよ全然、、」

 

反射的に答える私

12才と13才は顔を見合わせ

親の首をとった(まさに!)ように喜んでいる

二人で私を指差して

 

「褒め言葉を受け取れない人!」

 

「ほらぁ 遺伝なんだよ」

 

と、畳み掛ける息子

 

あぁ、一本とられちゃったね

ことほとさように、口でいうほど

古い習慣を変えるのは簡単じゃない

 

私のように いつのまにか 妙に不健全な「謙虚」を身につけてしまった人は

 

毎回、古い癖に気がついて

笑って

言い直して

「できたね」って褒めて

次は、ちゃんと最初から受け取れるように、、、

でもまた「あ、またやっちゃった」も繰り返しながら

少しずつリハビリしていくしかない

そしてそれでいい

 

妙に不健全な「謙虚さ」はとても頑固

それでも、それを打ち破って前に行きたいときのおまじない

「もう、そろそろゴーマン(傲慢)になってもいい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AUTHOR

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片岡 桜子 / Sakurako Kataoka

神戸生まれ。
30年前、関西TVニュースキャスターの仕事を辞し渡米。

その後ニューヨークにて、FM802、フジTV、NHKのリポーター、ハリウッドスターのインタビューなどをつとめ、またアメリカ大手金融業界にも籍をおくなど、数々の仕事に従事。

40才で結婚、43才で出産。

しばし子育てを楽しむが、50代が見えてきた頃、「余生」と呼ぶには長すぎる人生の後半をどうやって生きていけばいいのかと問い始めソウルサーチングの旅を始める。

  

YouTubeにMayutomo Channelというインタビュー番組を作り、「命」や「宇宙の仕組み」を日常に落とし込んでおられる先生方にお話を伺う。

登録者数は6300人を超え、今も増え続けている。

NYではアーバンシャーマン(都会の長老)的先生方から、体、ムーブメント、声などを使って、自分の奥の奥にある声を感じる方法を学ぶ。

教えを実践していたある夜、自分の中の「聖なる存在」と体感的に再会。

いついかなる時も自分だけを愛してくれていた存在が自分の内にいてくれたことに感動し、押さえつけ無視し続けてきたことを詫び、そこからはその声を感じて行動すると誓う。

そうするうちに、深い喜びと感謝が内から溢れ出し、もう満ち足りているので、何もしなくてもいいと感じ始めた途端、突然57才でショートフィルムの主演女優デビューしたり、58才で自作のミュージカルショーの舞台に立ったりと、思いもよらなかった、本人も忘れていた大昔の夢が、棚からぼたもち的に勝手に叶いだし、人生は宇宙の台本どおりなのだと実感する。

魂の声どおりに生きる喜びをショーや語りで表現し、アラフィフ世代の背中を押し続けている。

ショーの動画はこちらhttps://www.notsosuperherogirl.com/about

片岡桜子(長い長い)プロフィールはこちら

公開日:2015/09/22